あなたはストリートダンサーですか?
それともスタジオダンサーですか?
ちなみに私は「ストリートダンサーの魂を持ったスタジオダンサー」です。
この四半世紀、私はHIP HOP DANCEを愛し追及してきました。
キャリアの前半、そのほとんどの時間を外で練習し、バトルし、セッションしてきました。
そしてキャリアの後半になると、周囲の環境の変化などの事情で、スタジオなど屋内で練習するようになりました。
だから、そのように答えます。自然な流れに身を任せ、変化してきました。
今回は、ストリートからスタジオへと、ダンスの現場が変化していった歴史をたどっていきたいと思います。
90年代後半のストリートダンスブームとクラブカルチャー
ストリートダンス黎明期
私がまだ10代だった90年代後半、都内にはストリートダンサーが踊れる野外のスペースがたくさんありました。
渋谷の美竹公園や池袋の西口公園などはまさにメッカで、名前は伏せますが某人気男性ユニットの初期メンバーも練習していたりして、ファンや見物客も多くいました。
行政も企業もそこに務める警備員さんも、近隣の住民の皆さんも、ダンサーに対して寛容な時代でした。
躍っている当人たちにも、人に見られる快感や、他のダンサーやグループとの交流から得られる刺激がありました。
練習の後、そのままクラブへなだれ込む日々。
クラブの中でも、ダンサー同士のゆるやかな「ワッカ」が自然にでき、殺伐としたバトルではなく、かっこいいムーブの見せ合いが始まります。
周りからの拍手や黄色い声で何となくその夜の勝者が決まり、気持ちよくお酒を飲める雰囲気でした。
ただ、TVのダンス番組からダンスブームにますます火がつき、ストリートダンサーの数はどんどん増え続け、練習場所ではゴミや騒音の問題が無視できないレベルになっていきました。
それまでは時間帯や音量の制限なく場所を提供して下さっていた企業さんも、何かしらの条件を張り紙などで提示してくるようになりました。
ストリートダンサーが行き場を失いつつあった00年代
少しずつ自由に踊れるスペースが消えていき、00年代前半には、ストリートダンサーを街で見かける事も少なくなりました。
人気を博していたTVのダンス番組の放送も終了し、ダンスブームにも翳りが。
お金を掛けて場所を確保するスタイルが当たり前の時代がここから始まります。
90年代後半で力を蓄えたダンサーたちの中には、この時代にダンスから離れてしまった人も多かったですが、食い扶持を求めてプロとなる人やインストラクターになる人も出てきました。
このことも、スタジオダンス化を加速させる要因となりました。
それと同時に、クラブでは「ワッカ」ができる雰囲気が失われ、セットされたバトルやショータイム中心のイベントが急増。
スタジオに習いに来る生徒たちの披露の場を確保するため、企画イベントが増えました。
自由に踊れるDJ TIMEはどんどん削られていきました。
ストリートの気質を持っていた人たちは、そんなダンスイベントに辟易し、DJ TIMEオンリーの箱に遊び場を変えるようになりました。
根っからのストリートダンサーは、表面的にはレアキャラと化していきました。
格安貸しスタジオが都内に増加した00年代後半、価格競争が起こり、だいたい今と同じような相場が出来上がり、スタジオレンタルの敷居は低くなりました。
ダンスの練習のことを、みんなが「リハーサル」と呼ぶようになりました。
このように10年から15年という時間をかけて、ストリートダンス文化はスタジオダンス文化へと完全にシフトしていったのです。
後編へ続く